おきなわカエル商会が、沖縄を飛び出してお出かけしてきました。
奄美大島には、ヤンバルのカエルとも関連が深いカエル達が生息しています。奄美大島産のアマミイシカワガエルの写真もあります。やんばる産のものと比べてみて下さい。
本土のカエル編では、もっとも普通に見られるニホンアマガエル、トノサマガエル。そして森林に生息するタゴガエル。3種のカエルの写真があります。
南さつま市坊津町の哺乳類編では、鹿児島県薩摩半島の南端に位置する南さつま市坊津町で撮影した哺乳類の写真があります。アナグマやタヌキなど、南九州の里山で普通に見られるけもの達の写真です。
私が初めて奄美大島を訪ねたのは1981年の夏、まだ中学生の時でした。母方の祖父のお供で、大和村の戸円に赴任していた叔父を夏休みに訪ねた時です。当時昆虫少年だった私にとって、憧れのリュウキュウアサギマダラやシロオビアゲハが舞う奄美大島は非常に魅力的な場所でした。朝日を浴び、光り輝きながら舞うリュウキュウアサギマダラが強く眼に焼き付きました。その後大学生の時に数回、就職してから数回遊びに行っています。展示してある画像は、2002年に撮影したポジフィルムをスキャンした画像と、その後数回訪れた時にデジカメで撮影した画像です。ポジフィルムで撮影した写真をスキャニングしたものは画質がよくありませんがご容赦下さい。
2002年には、オリイコキクガシラコウモリ、アマミノクロウサギ、アマミヤマシギ、ルリカケス、アカヒゲ、オオトラツグミ、オーストンオオアカゲラ、ハブ、アマミイシカワガエル、オットンガエル、アマミハナサキガエル、アマミアオガエルなどの他、念願であったアマミトゲネズミも一瞬ながら目撃することができました。
奄美大島と沖縄島は、地史的に関連が深く、生物相もこれを反映しています。沖縄諸島と八重山諸島の両生類相よりも、沖縄諸島と奄美群島の両生類相のほうに多くの共通点があります。奄美群島と沖縄諸島には、アマミアカガエル(奄美群島)とリュウキュウアカガエル(沖縄諸島)、アマミイシカワガエル(奄美大島)とオキナワイシカワガエル(沖縄島)、オットンガエル(奄美大島)とホルストガエル(沖縄諸島)、アマミアオガエル(奄美群島)とオキナワアオガエル(沖縄諸島)いった近縁な種や亜種関係にある種がそれぞれ分布しています。またハロウェルアマガエルは沖縄島と奄美群島に分布しています。奄美群島と沖縄諸島には、有尾類 (イボイモリ、シリケンイモリ) も分布していますが、八重山諸島に有尾類は分布していません。
奄美群島に分布するオットンガエル、アマミイシカワガエル、沖縄諸島に分布するオキナワイシカワガエル、ホルストガエル、両諸島に分布するイボイモリなど、大陸など周辺地域に近縁な種が分布していません。古い時代に両地域にとり残されたものが生き残り、その後それぞれの島嶼で分化したと考えられています。
やんばるを中心に生き物たちを観ている者にとって、沖縄諸島と共通点が多く、やんばる同様にカエル類の多様性も高く、アマミノクロウサギなど固有種も多い奄美群島は非常に興味深い島々なのです。
ここの写真は、Mixiのコミュニティー”野良ガエルに会いに行こう”のイベントであった”野良ガエルに逢いに行こう 第2回関西野良ケロツアー”に飛び入りで参加させていただいた時のものです。2005年8月にあったイベントです。ニホンアマガエルの一枚だけは、1990年代の初頭に九州で撮影した画像です。
ニホンアマガエルは、子供の頃からなじみ深いカエルです。鹿児島の薩摩半島南端にある実家周辺にあった田んぼ、小さな小川周辺や、庭にあった池の周囲でもよく見かけました。夏の夜、窓ガラスにくっついていたこともあったように思います。
トノサマガエルは、田んぼの近くを流れる小川でテナガエビなどを捕まえたりして遊んでいるとき、時々やぶからピョーンと勢いよくジャンプしてゆく姿が記憶にあります。子供の頃はとても大きく感じました。さすが”トノサマ”だなぁと思っていました。
ニホンアマガエルやトノサマガエルの他、ヒキガエルやニホンアカガエルも見ることができました。畑を鍬で耕していると、イモリが真っ二つなんてこともありました。夏はホタルもずいぶん見ることができましたし、一年中水が張ってある水田でしたので、メダカやドジョウもけっこういました。シマヘビ、アオダイショウ、ヤマカガシも多かったです。今では水田だった場所は、ススキやセイタカアワダチソウが生い茂っています。寂しい事です。トノサマガエルがレッドデータブックに記載されている都道府県もけっこうあるようです。失われて行く水田と、水田に関わりの深い生き物たち。寂しいことです。
子供の頃暮らしていた場所。その裏山にはどんな哺乳類がいるんだろう?そんな素朴な疑問から、実家の裏山で哺乳類を撮影し始めたのは2005年の夏でした。
撮影にチャレンジした場所は、鹿児島県南さつま市坊津町久志という、薩摩半島南部の南西端に位置する小さな集落です。撮影開始時は、川辺郡坊津町でした。市町村合併により、撮影を始めた2005年11月に南さつま市となりました。
久志は、リアス式海岸の美しい坊津町にある小さな集落のひとつです。かつては、近衛家の荘園であったり、遣唐使の寄港地、和冦、薩摩の密貿易などで栄えた港町でした。明時代の中国の書物に、安濃津、博多津、坊津が”日本三津”(津は港の事)として記されるほど殷賑を極めたようです。近衛信尹公が配流されていた地でもあります。
坊津について Wikipediaのの記事 近衛信尹について Wikipediaの記事
どうも少し様子が変わってきているんだな。親父から実家周辺の様子を聞いて思いました。
正月頃に収穫した柑橘類類を実家の裏に小屋に置いておくと、アナグマに狙われるとのことです。昔は果樹の根元に肥料代わりに撒いていた生ゴミも、今では獣に荒らされないようコンポストが設置されていました。家のすぐ側には、イノシシが餌を探した跡が残っていました。子どの頃は、竹の子をアナグマに荒らされたり、モグラやイエコウモリの死骸を拾ったり、たまにイタチを見かけたりなどはありましたが、アナグマが自分の実家に出てくるなど、昔は無かった事です。イノシシも、ここまで身近に存在を感じる事はありませんでした。様子を確かめるため裏山を歩くと、目立つ場所に糞もありました。
風呂も電気温水器になっていますし、裏山を生活で利用する機会は、かなり減っていると思います。また私たちが小さかった頃は、裏山は秘密基地を作ったりする遊びの場でもありましたから、けものが近づきにくかったのではないかと思います。裏山の利用が減ったため、タヌキやアナグマにとっては住みやすくなったのかもしれません。それならば、実家の居間から徒歩3分でいける裏山で、哺乳類を撮ってみるかと考えたわけです。
2005年8月、2005年9月、2005年12月年末から2006年1月の年始、2006年9月、2007年9月、2007年年末から2008年年始、2008年年末から2009年年始、2009年年末から2010年年始、2010年年末から2011年年始、2011年年末から2012年年始、2012年年末から2013年年始と、それぞれ数日間の撮影を試みてきました。
撮影できたほ乳類は、タヌキ、イヌ(猟犬)、テン、イタチ、アナグマ、ネコ、アカネズミ、クマネズミでした。子供の頃みた記憶があるものや、食痕などの痕跡、親父からの情報を合わせると、実家の周辺には少なくとも12種(猟犬を除く)のほ乳類が生息していそうです。
アウェイでの撮影であり、まだまだイメージ通りの画が撮れていませんので、今後も時々チャレンジをしてみようと思っています。